■2014年3月5日
e聖書メールマガジン (3/5)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■□ e聖書メールマガジン □■ 2014年 3月 5日 発行
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【今週のテーマ : 罪人だから】
◆聖書の言葉 : 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。(ローマ5:20)
“自分は罪人だから、神さまの恵みを受けられない。”と、なんとなく考えてしまうものです。
でも、本当に神さまの恵みが必要なのは、その罪人です。
ですから、「罪が増したとこには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。」との言葉に、希望が見えてきます。
「罪が増した」というのは、自分はかなりの罪人だと、気づくことです。神さまの恵みは、そのような人に満ちあふれます。
このようなわけで、“罪人だから神さまの恵みを受けられない”のではなく、“罪人だから神さまの恵みを受けられる”のです。
もし自分が罪人だと気づいたなら、そのままで、神さまの恵みをいただけます。自分がかなりの罪人だと分かれば、なおいっそう神さまの恵みをいただけます。
自分が罪人だと知っているのに、神さまの恵みを得られないでいるとしたら?
自分は、神さまに恵んでもらわなければならないほどの罪人ではない、と考えているのかもしれません。
もしそうだとしても、大丈夫です。実際に人はみな、かなりの罪人だからです。神さまは律法によって、そのことを明らかにしてくださり、なおいっそうの恵みで満たしてくださいます。
(yn)
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<編集後記>
随分前に聞いたカローラの宣伝文句で、 「変わろう。変わらないために。」を、 ときどき思い出します。
それがわたしの中では、 「聖書に忠実であるために、変わり続ける。」 ということに置き換わるのです。
「これはこういうもんだ。」 という理由でやっているものに気がついたら、 聖書ではどう教えられてるんだろう?と、 考えてみることにしています。(yn)
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