■2016年8月31日
e聖書メールマガジン (8/31)
e聖書ネット メールマガジン (2016. 8.31)
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●聖書の言葉 : すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。(ルカ24:31)
ある時、復活したイエスさまが、二人の弟子に現れました。ところが「二人の目は遮られていて」(同24:16)、それがイエスさまだとわかりませんでした。そして、「二人の目が開け」たときにわかりました。
マリアもそうでした。復活したイエスさまを、最初は園丁だと思っていましたが、そのうちにそれがイエスさまだとわかりました。(ヨハネ20:11-16参照) 同じようなことは、他の弟子たちにもありました。(ヨハネ21:1-7参照)
わたしたちも最初は、イエスさまを認識できません。わたしたちの目も、何かに遮られているからです。でも目が開けると、イエスさまを認識できます。
「目が開け」とありますが、目が閉じていたわけではありません。「目は遮られていて」とあるので、何かが見えることを邪魔していて、目の前が開けていなかったのです。
神さまが、遮っているものを取り除いてくださいます。だからわたしたちも、「わたしの目の覆いを払ってください」(詩篇119:18)と祈ると良いですね。そして、自分の目を遮っているものに気がついたら、それに執着しないようにすることが大切だと思います。
(yn)
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<編集後記>
うちの犬は、おやつを見るとウキウキし、シャンプーのときはどん底な顔になります。
人にも浮き沈みがありますが、ピンチをチャンスに変えることがきたり、浮きも沈みもそのまま受け入れるという選択肢もあります。
ニーバーの祈りを思い出しました。 「神よ 変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては、 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。」
(yn)
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