■2017年12月13日
e聖書メールマガジン (12/13)
e聖書ネット メールマガジン (2017.12.13)
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★聖書の言葉★ わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。(フィリピ1:21)
「生きるとはキリスト」とあります。他の手紙でパウロは、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)とも、書いています。
なんとなく、キリスト教の信仰を極めた人の言葉のようです。でもこれは、神さまからの恵みによることです。クリスチャンの努力目標のように考える必要はありません。神さまが、このように恵みを与えてくださることは、キリスト教の特徴です。
「生きるとはキリスト」なのは、キリストが自分の内に生きておられるからです。キリストと自分が別々なのではありません。一つとされるわけです。
それは、キリストを頼って生きるのとは違います。キリストは確かな方だから頼る、あるいは藁をもつかむ思いで頼るなど、頼り方は色々でしょう。いずれにしても、キリストを頼る自分が、キリストから少し離れたところで生きているわけです。
「生きるとはキリスト」という、神さまの恵みがあります。神さまは、わたしたちに良い「生きる」を与えてくださいます。
(yn)
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<編集後記>
あるテレビドラマで、一人の少年が「自分は何のために生まれたんだ!」と叫ぶと、主人公が「生きるためだ!」と叫び返していました。
自分が生まれた理由が、今はまだわからないなら、とにかく生きて、生きていれば、いつかきっとわかる!ということかな、と思います。
振り返れば、もう30年くらい前になります。 わたしは、自分という人間が、自分のすべてを注いでやるべき何かを探し求めていました。(yn)
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