■2021年3月24日
e聖書メールマガジン (3/24)
e聖書ネット メールマガジン (2021. 3.24)
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《聖書の言葉》 なぜなら、私たちは、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。(ローマの信徒への手紙 3章28節)
「義とされる」というのは、救われるということです。そして、「律法の行い」は、人の意志や努力から生じるもので、「信仰」は、神さまの憐れみから生じるものです。(同 9章16節参照)。
私たちは、良い行いを生み出す、自分の意志や努力によって救われるのではありません。私たちに信仰を生じさせてくれる、神さまの憐れみによって救われます。
とは言うものの、人は自分の意志や努力によって救われるという方が、納得しやすいです。でも、自分の意志と努力を維持し続けるのは、それができている間は満足感がありますが、心身ともに疲れます。救いは、本来そのようなものではないでしょう。
信仰による救いには、神さまとの間に平和があり、心に注がれる神さまの愛があります。(同 5章1-5節参照) 神さまの憐れみから生じる信仰による救いは、このようなものです。
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[編集後記]
スペインで、安楽死が合法化されたそうです。 EUでは4か国目だそうです。
人の死をどう考えるかという問題でしょう。 人の尊厳とは、人が生まれるとは、生きるとは、苦しむとは、幸せとは、個人であることとは、家族であることとは、など関わってくる事柄は、たくさんあると思います。
はっきりした答えには、なかなか到達しないと思います。 問い続ける中で見えてくるものがあり、見えてくることで新たな問いに気がつき、また問い続けることになるのだと思います。
(yn)
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