■2021年6月23日
e聖書メールマガジン (6/23)
e聖書ネット メールマガジン (2021. 6.23)
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《聖書の言葉》 そればかりか、私の主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑と考えています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。私には、律法による自分の義ではなく、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。(フィリピの信徒への手紙 3章8,9節)
「キリストを知る」、「キリストのゆえに」、「キリストを得」、「キリストの内にいる」、「キリストの真実」とあります。とにかく「キリスト」です。だからキリスト教であり、クリスチャンなのですね。Christian(クリスチャン)の Christ は、キリストです。
このように書いているパウロは、自分のことを「キリスト・イエスの僕」(同 1章1節)と書いています。僕とは仕える者のことです。パウロがキリストに仕えるのは、まずキリストが、自分たちに仕えてくださったからです。だから、とにかく「キリスト」なのです。
キリストが仕えてくださった姿は、同じ手紙の2章6-8節にあります。それは、神でありながら、ご自分を無にして僕の形をとり、十字架で死なれた姿です。キリストは、私たちのことを心にかけて、私たちが救われるようにと、そうなさいました。
キリスト教の礼拝や祈り、教えから、もしキリストが取り除かれたら、良いものは何も残りません。クリスチャンからキリストが取り除かれても同様です。キリストは、キリスト教とクリスチャンの中核です。
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[編集後記]
当たり前ですが、人はみんな特徴があります。 私は、特に何かができるわけではありません。 また存在感もありません。 それは、私がいることにも、いないことにも、妻が気づかないほどです。 ですから、とてもただの人です。 私の特徴は、そういうところなのだと思います。
(yn)
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