■2021年7月21日
e聖書メールマガジン (7/21)
e聖書ネット メールマガジン (2021. 7.21)
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《聖書の言葉》 しかし、この私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この方を通して、世界は私に対し、また私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼の有無は問題ではなく、大事なのは、新しく造られることです。(ガラテヤの信徒への手紙 6章14,15節)
聖書には割礼のことが、しばしば出てきます。この割礼は、神さまがアブラハムに命じられたことで、宗教儀式として始まりました。(創世記17章9-14節参照) 割礼の元々の意味は、「切り取る」「切り捨てる」で、男性の性器の包皮を切り取り、捨てることです。
この割礼の真意は、心に施す割礼でした。「心の包皮に割礼を施し、二度とかたくなになってはならない。」(申命記10章16節)とあります。人の心には、神さまとの交わりを損なう部分があります。そこを切り取って捨てるわけです。
割礼は、部分的な切り捨てでしたが、神さまが本当に人に求めておられるのは、自分を捨てることです。「世界」に惹かれ、縛られてしまう自分を捨てるのです。「世界」とは、神さまとの交わりの喜びから、私たちを遠ざけようとする、この世のことです。
自分を捨てる場所が、「主イエス・キリストの十字架」です。そして、自分を捨てたなら、「新しく造られ」ます。「世界」とは決別して、神さまとの交わりに生きる者に、新しく造られるのです。造ってくださるのは、創造主である神さまです。
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[編集後記]
この辺りも、やっと梅雨が明けました。 例年より二日早いそうですが、入りが随分早かったので、正にやっとという感じがします。
ということで先日、うちの犬のシャンプーをしました。 ずっとこのときを待っていたわけです。
犬をきれいにできて、私の心は梅雨明けの空のように晴れ晴れしました。 犬はというと、シャンプーは嫌いですが、シャンプー中にオヤツをもらってニコニコ顔でした。
(yn)
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