■2021年8月11日
e聖書メールマガジン (8/11)
e聖書ネット メールマガジン (2021. 8.11)
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《聖書の言葉》 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを解き明かされた。(ルカによる福音書 24章27節)
イエスさまは復活した後、ある二人の弟子に現れました。その二人は、その時、イエスさまが死んでしまったことに落胆し、また、その遺体が見当たらないという知らせを聞いて、困惑していました。
そこでイエスさまは、聖書全体にわたり、ご自分について書いてあることを解き明かされました。このことから、信仰の土台であるイエスさまを知るときには、聖書に立つことが、いかに大切であるかがわかります。
もし、聖書に立たずにイエスさまを知ろうとするなら、何に立つことになるでしょう。自分の経験や知識、あるいは意志といったものでしょうか。それらは、とても不確かなものです。経験は次第に色あせ、知識は新たな疑問を引き起こし、意志は常に揺れ動きます。
聖書は確かなものです。分かりにくいところはありますが、だからと言って不確かなわけではありません。聖書が確かであるのは、それが神さまの言葉だからです。聖書は、私たちの信仰の土台であるイエスさまを証しする、神さまの確かな言葉です。
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[編集後記]
聖書を読んでいたら、「正しき者は動物の思いが分かる。」と書いてありました。(箴言12章10節) この動物は、家畜のことだろうと思います。 でも、真っ先に私の頭に浮かんだのは、うちの犬でした。 今月の23日に14歳になる、おじいちゃんの柴犬です。 その思いは、どんなことなのか?
あまり深いことは考えてなさそうです。 疲れる散歩はさっさと終わらせて、あとは寝て過ごしたい、というところだと思います。
たまにですが、羨ましいなあと思うことがあります。
(yn)
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