■2021年10月6日
e聖書メールマガジン (10/6)
e聖書ネット メールマガジン (2021.10.06)
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《聖書の言葉》 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方が満ちておられるところです。(エフェソの信徒への手紙 1章23節)
「教会」と訳されているギリシャ語の元々の意味は、「正規に招集された市民の議会」(織田昭編『新約聖書ギリシャ語小辞典』)です。ですから、教会の本質は人です。この手紙には、「キリスト・イエスを信じる聖なる者たち」(1章1節)や「神の家族」(2章19節)とあり、これが教会です。
この教会が、「キリストの体」と言われています。キリスト御自身は、今は天におられます。ですから、人の目には見えません。でも、その体は地上にあって見えるわけです。キリストは、教会を通して人々に見られるお方です。
そうすると、教会は素晴らしいところのように思われますが、そうとも限りません。エフェソの信徒たちは、初めの頃は愛がありましたが、後には、その初めの愛を離れてしまいました。(エフェソの信徒への手紙1章15節、黙示録2章1-4節 参照)
教会は、そういうところもあるのですが、キリストは教会を愛されます。だから、教会はキリストを思い出し、悔い改めることができます。キリストは、このような教会によって、人々に見られるお方です。(エフェソの信徒への手紙5章25節、黙示録2章5-7節 参照)
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[編集後記]
先週は、自民党の新しい総裁を選ぶ選挙がありました。 それについての報道を、テレビで見ることも多かったです。 それで思いました。 政党名には「自由」がついているけど、内部では派閥などの、いろいろな縛りがあるんだなあ、と。
でも、自由というのは、一定の縛りのようなものの中で実現されるものだと思います。 他者との良好なつながりや、安心をもたらす安全な領域の中で、人は自由でいられるのだと思います。
(yn)
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