■2022年12月21日
e聖書メールマガジン (12/21)
e聖書ネット メールマガジン (2022.12.21)
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《聖書の言葉》 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。(マルコによる福音書15章37節)
イエスさまが息を引き取られたのは、十字架上でのことでした。イエスさまは、このことを事前に三度、弟子たちに語っておられました。「大声を出して」とありますが、息を引き取る直前の言葉は、「成し遂げられた」でした。(ヨハネによる福音書19章30節参照)
通常、十字架刑の受刑者は、長ければ数日間苦しんで、最後は出血多量と衰弱で死に至るのだそうです。しかし、イエスさまの場合、それとは大きく異なっていたわけです。
イエスさまの十字架は、特別なものでした。イエスさまは、明確な目的をもって、十字架に向かって歩まれました。そして、その目的が、十字架上で成し遂げられたので、息を引き取られました。
イエスさまは、神さまに背く私たちの過ちを負って、十字架で息を引き取られたのです。私たちのために、犠牲となってくださったわけです。このイエスさまによって、私たちには平安が与えられ、私たちは癒されます。(イザヤ書53章4-6節参照)
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[編集後記]
以前、旧統一教会の霊感商法などの問題が報じられたとき、旧統一教会の内部では、信者に対して、自分たちは迫害を受けている、と教えていたように思います。 そうすると、迫害する側が間違っていて、迫害される側は正しい、という理解になります。 むしろ、迫害が激しくなればなるほど、自分たちの正しさがより証明される、と考えてしまうのです。 私も一時期、そういう中にいたわけです。
そういう思考回路から解放されたのは、どのようにしてかは、自分でも説明するのは難しいです。 ただ、いろいろな人たちが、忍耐強く温かく接してくれたことは大きかったと思います。
(yn)
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