■2023年2月8日
e聖書メールマガジン (2/8)
e聖書ネット メールマガジン (2023. 2. 8)
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《聖書の言葉》 なぜなら、私たちは、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。(ローマの信徒への手紙3章28節)
「人が義とされる」とあります。それは、神さまの御前に正しい者とされることであり、神さまとの関係が正しくされることです。救われることと、ほとんど同じ意味です。
人は生まれながらに、義ではありません。人には罪があるからです。その罪を、罪のないイエス・キリストは背負い、身代わりの死を遂げてくださいました。このイエス・キリストへの信仰によって、人は神さまに義とされます。(同3章21-26節参照)
ちなみに、「律法の行い」とは、神さまを礼拝することと人を愛することです。(同12章1,9-18節参照) これは、人が信仰によって義とされた後に、神さまが、その人に求められる行いです。ですから、義とされるための行いではありません。
イエス・キリストが死んでくださったことと、神さまが、そのキリストを信じる人を義としてくださることは、すべて恵みです。その恵みを、ただ、そのまま受け取ることが、義とされることにつながります。
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[編集後記]
勉強は一生続くと言われます。 でも、勉強するのも楽ではありません。 勉強して疲れたときには、ボーッとしてみるのが良いと思います。 そして、勉強したことを思いめぐらしてみるのです。 すると、新しい気づきがあったりします。 これも勉強のうちだと思うし、これならあまり疲れません。 私はボーッとして思いめぐらしながら、いつの間にかウトウトしてしまい、新たな気づきがなんだったか思い出せないことがありますが...。
(yn)
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