■2011年8月10日
e聖書メールマガジン (8/10)
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■□ e聖書メールマガジン □■ 2011年 8月10日 発行
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今週のテーマ:【主から命を受け取る】
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★☆聖書の言葉
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたし があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
(ヨハネ6:63)
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“霊”とは、主の霊です。(新共同訳聖書は、聖霊、神の霊、主 の霊の意味と思われる「霊」を「“霊”」と翻訳しています。)
主の霊が命を与えてくださいますから、わたしたちは、ただ受け 取ればいいですね。ところでわたしたちは、その命をどこで受け 取るのでしょう。知識で? 感情で?
霊で、です。人には霊が与えられています。聖書には次のように あります。 「人の霊をその内に造られる主」(ゼカリア12:1)
主の霊が与えてくださる命を、わたしたちも自分の霊で受け取る ことになります。とは言っても、霊で受け取るってどういうこと だろう?と、戸惑います。
イエスさまが語られた言葉が霊であり命です。わたしたちは聖書 を読むとき、御言葉から命を受け取ります。知識や感情ではなく て、霊で受け取ります。
もし主の言葉を、知識や感情で受け取ると、「実にひどい話だ。 だれが、こんな話を聞いていられようか。」(同6:60)という具合 で、なかなか命を受け取れません。
わたしたちがイエスさまに、「あなたは永遠の命の言葉を持って おられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、 また知っています。」(同6:68,69)と言えるのは、自分の霊で受 け取っているからです。
主よ、感謝します!
主の霊が与えてくださる命、その豊かさの中を、今日も歩ませて いただきましょう。
yn
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<編集後記>
先週から、うちの犬の訓練が始まりました。 ごく、たまに、ですが、 唸ったり、噛み付こうとするからです。
それで、犬の訓練士さんに、 お願いしたわけです。
明らかになったことは、 うちの犬が悪かった、 のではなくて、 飼い主の、飼い方が悪かった、 ということです。
犬の訓練士による、 飼い主訓練の2週目。 飼い主が、変わる努力中です。 もしかしたらいい犬の、うちの犬も、 ちょっとずつですが、穏やかになっています。
相手を変える前に、自分が変わろうとする。 たぶん、たとえ犬が相手でも。
イエスさまは、 御自身はまったく悪くないのに、 わたしを変えてくださるため、 人となってくださったんですよね。 (yn)
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