e聖書ネットは、誰でも無料で聖書を学ぶことができる通信講座です。

Q&A

Q&A

 

Q アーメン

 「そのとおりです」とか「確かに」という意味があります。

 礼拝やお祈りのときの、自然な応答の言葉として用いられています。

 またイエスさまが「アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方」(黙示録3:14)と呼ばれています。呼称としてのアーメンは、イエスさまだけに用いられています。

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Q イースター

 復活祭とも言われています。十字架で死なれたイエスさまが、復活したことを記念するお祭りです。
 
 イースターについて『新聖書辞典』(いのちのことば社)には、「325年の第1回ニカイア総会議で、復活祭は春分後の最初の満月の直後の日曜日とすると定められた。」とあります。復活祭は聖書には書いてないけれど、イエスさまの復活を覚えよう!ということで決められたのでしょう。

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Q イエスさまは神?人?

 イエスさまは、天地万物を創造した神さまであり、人間として生まれたと聖書には書いてあります。神さまであり人間である方です。神さまから人間に変わったのではありません。

 神であり人であるということを、わたしたち人間の限られた知力では、理解できません。

 でも大切なことはわかります。愛です。神さまであるイエスさまは、人間となり、神さまがわたしたちを愛してくださっている愛を教えてくださいました。

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Q カトリックとプロテスタントの違い

 どちらもキリスト教です。

 大きな違いは、教えの土台です。カトリックは聖書と伝承で、プロテスタントは聖書のみです。

 もともとキリスト教は一つだったのですが、ルターの宗教改革をきっかけに、プロテスタントができました。
 
 それからプロテスタントには、たくさんの教派があります。e聖書ネットをやっているセブンスデー・アドベンチスト教会も、プロテスタントの中の1つです。

 それから、カトリックでは「神父」、プロテスタントでは「牧師」という違いも、参考までに。

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Q クリスチャン

 イエス・キリストを信じる人のこと、というのが一般的でしょうか。

 はじまりは、イエスさまの弟子たちのことを、周りの人たちがクリスチャンと呼んだことです。(使徒言行録11:26)
 
 弟子ですから、師であるイエスさまを模範として生きる人たちです。またイエスさまの言葉(聖書)に従う人たちです。
 
 イエスさまは弟子たち、互いに愛し合うようにと教えられました。クリスチャンたちはそうしながら、イエスさまに向かって成長していきます。

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Q クリスマス

 Christmasと英語で書きますが、Christはそのままキリストで、masはミサのことです。つまりキリスト礼拝ですね。
 
 12月25日がキリストの誕生日と言われることがありますが、実際の誕生日はわかっていません。聖書には、毎年キリストの誕生日に何かをしたという記録もありません。
 
 キリストがお生まれになった時、当時の王はそれを喜びませんでした。自分が王様のような気持ちでは、キリストを礼拝できなかったのです。
 
 神であるのに人となられた謙遜なキリストを、わたしたちも謙遜になって礼拝しましょう。

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Q バプテスマ

 バプテスマは、イエス・キリストと自分が一体とされたことを表明する儀式です。このキリストは、十字架で死んで、のちに復活なさった方です。

 バプテスマで水に沈められることは、自分がキリスト共に十字架につけられて、古い自分が死んだことを表します。

 その後、水から上がることは、キリストの復活にあやかって、新しい命を生きることを表します。

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Q 愛の宗教

 キリスト教は「愛の宗教」と言われることがあります。ところで愛とは?
 
 聖書に次のようにあります。「・・・神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(1ヨハネ4:10)

 愛は、イエス・キリストにより、わたしたちに示されています。

 自分が愛されているとわかると、今度は周りの人たちを愛するようになります。愛されて愛するキリスト教は、愛の宗教です。

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Q 罪と死

 最初の人、アダムは神さまから、こう言われていました。「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記2:17)
 
 しかしアダムは、食べてしまいました。神さまの言葉に従わなかった、つまり神さまに反したことがアダムの罪でした。
 
 「このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」

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Q 十字架

 十字架は教会のシンボルになっています。「ここに教会がありますよ!」という呼びかけであり、「私たちはイエスさまのように、みなさんに仕えます。」という意思表示です。

 もともと十字架は、死刑の道具でした。この十字架でイエスさまは処刑されました。罪のないイエスさまは、わたしたち罪人の身代わりとなったのです。イエスさまは自分のすべてをかけて、わたしたちに仕えてくださいました。

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Q 神

 天地万物を創造し、今もすべてを治めておられる方が神です。

 この神さまは、私たちから遠く離れているのではありません。わたしたちに語ってくださり、触れてくださいます。

 神さまは、わたしたちが神さまを求める前から、わたしたちの名を呼び、わたしたちを求めておられます。

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Q 聖書

 分厚くて読みにくいのに、世界中の人たちに読まれ続けている不思議な本です。

 聖書は、神さまからのメッセージです。聖書を読んで、神さまの思いが自分の内に流れ込んでくると、自分の中に変化が起こります。

 それで喜びに満たされ、希望に支えられ、たくさんの人たちが聖書を読み続けているのです。

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Q 創造

 「初めに、神は天地を創造された。」と、聖書の最初にあります。すべてが神さまに創造されました。すべての人もです。

 もうひとつの創造があります。聖書に次のようにあります。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。」(2コリント5:17)

 キリストは命を捨てるほどわたしたちを愛し、死んだけれど復活なさった方です。このキリストに結ばれて、愛と復活の命に預かる新しくされた自分を、生きることができます。

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Q 福音

 国語辞典には「喜びを伝える知らせ」とあります。

 喜びのことが聖書に次のようにあります。「・・・わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。」(1ヨハネ1:3,4)

 喜びは交わりの中にあります。わたしたちが、御父と御子イエス・キリストとの交わりに加えられるとき、喜びが満ち溢れます。

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Q 贖い(あがない)

 普段はめったに使わない言葉ですが、「贖う」を国語辞典でみると、「罪のつぐないをする。」とありました。
 
 聖書には、次のようにあります。「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」(エフェソ1:7)
 
 神さまがキリストの血で、わたしたちの罪をつぐなってくださいました。

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